その日、私は蝦40尾を用いて、干焼蝦仁(*1)を作っていた。
食卓の準備が整い終わった頃、前触れもなく体がガタガタと震え始めた。
長年連れ添ってきた体のことだ、これが何の兆候なのか医者に行かずとも分かる。
(これはイカン)
私は慌てて少量の食物とビタミン剤とを胃に流し込み、置き薬の箱を漁り、発見した風邪薬を飲んで横になることにした。
しかしこの『薬を飲んだ時点』で既に意識が朦朧としてしまっていた事を後に気付き、私はホットカーペットの上で甚(イタ)く後悔することになるのである。
それは、薬を飲んで10分もしないうちのことであった。
私の体はこれまた何の前触れもなく突然飛び上がるようにビクリと跳ね、そうしてそのまま痙攣にも似た症状を呈し始めたのである。
その激しさたるや、
(こ・このままではレイノー氏病(*2)になってしまう…)
などと思ってしまう程であった。
一体これはどうしたことだろう?
体はこうしてホットカーペットの上に横たえて毛布に包まり、休養モードに入っている。
風邪薬も飲んだ。しかも消化器官を傷めてしまわないように、少量だがちゃんと食物を摂ってから飲んだ。
だのに何故このような激しい事態に陥らねばならんのだ。
(このままでは引き付けを起こしてしまうのではないか)という恐怖心が芽生える程の異常事態に、私の脳は現実逃避という名の思考を開始する。
そうしてやがて、いや、ようやく、私はその答えをはじき出した。
…そうだ。
ここ暫く薬剤を必要とする機会のなかった私は、そのことをすっかり忘れてしまっていたのだ。
私の体が、稀に見る程高い薬剤感受性を持っているということを。
感受性、という言葉の意味に暗い方に説明させていただくと、普通の成人の体内でちょうど良い効果を発する薬量でも、私に投与すると過敏反応を引き起こしてしまうのだ。
もう少し平たく言えば、私の体は薬が効きすぎてしまうということになる。
例えば鎮痛剤を普通に飲めば、薬の効果が切れるまでの間激しい動悸に苦しみ、その後も長期間、胸部の不調に苦しんだりする始末で。
だから薬の類は常々、1/3~半量程に減らして飲んでいたのに。
嗚呼、熱で意識が朦朧とし始めていたとは言え、何という愚行をしでかしてしまったのだろうか。
あまりに激しい身体震動に眠ることも叶わず、私は薬効が薄れるまでの数時間を、後悔と情けなさにどっぷりと浸ってただ震えながら過ごしたのであった。
これからは忘れないよう、薬箱の前面に『(((゚Д゚)))』とでも貼っておこうかと真剣に思う、今日この頃なのである。
*1)カンシャオシャーレン(ピンイン省略)と読む。要するにエビチリ
*2)1965年に社会問題化した、チェーンソー等の震動機器常用者が罹る震動障害。